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<あなたはVISIONAIREを知っていますか?>





話が相当ズレてしまったので、ここらでキチンと戻しておくと… 

リンダと待ち合わせたのはWest Broadwayと家があったBroom St.のSE(南西)の角にあった「NEWS BAR」の前だったと思います。ちょうど今のOLIVER PEOPLEがある場所です。 





この時は緊張というよりも、ひたすら「スティーヴン=編集長、セシリア=モデル、ジェームス=メーク…」って呪文のように頭の中で唱えていました(爆) (今もそうですけれど、洋の東西を問わず、とにかく僕は人の名前と電話番号が覚えられないんです。 どんなに長い打ち合わせでは一切メモを取らないくても平気なんですが、この2つだけはめっぽう弱いのです。)

そして向かったのはそこから1ブロックはなれた6th Ave.の先にある、当時のオフィスがあったWatts (ワッツ)St.の58番地でした。

ここには表に大きな黒い鉄製のゲート(このMapのゲートがそれで、以前はMatrix Printingという印刷所が隣にあり、初期のVISIONAIREはここで印刷されていました)があり、そこを開けると奥に続くドライブウェイがあって、当時彼らはその裏手の"REAR BUILDING"(=中庭にある別棟)を一棟借りしていました。





ここは彼らにとって2つめの事務所で、はじめは6th Ave.にあるスティーヴンの自宅をオフィス代わりにしていたそうです。

この3階建てのこの小さなビルの1階はVISIONAIREのオフィス、2階がスティーヴンの居住スペースとバス&キッチン、そして3階はジェームスの居住スペースという、とてもこぢんまりとした、でもホーミーで暖かい場所でした。 

僕自身は今現在のMercer St.のオフィスでは一度も働いた事はないので、この58 Watts St. Rear Buildingこそが僕にとってのVISIONAIREといったところでしょう。


 「ブー」といういかにもアメリカのブザーといった感の呼び鈴を鳴らすと、出てきたのはスティーヴンでした。

 "Hi Nice to meet you!" 

 もちろん僕の頭の中ではこの言葉が巡っていた事は言うまでもありません。 
「スティーヴン=編集長、スティーヴン=編集長…)」

ただこの時に受けた彼の柔らかい、そして優しい印象は今も寸分たりとも変わっていませんし、だからこそ僕はこの仕事を続けていられるのだと思います。

ちょっとうまく言えませんが、前出の山室さんに出会った時のそれに近いと思います。
もっとも彼の時はミラノのレストランでしかもベロベロで、当時バカ売れしていたマルペンサというモデルと仲良くなったっていう同じ話を3回以上繰り返していましたけど(爆)

中に入ると入り口から吹き抜けた形で階段が上階までのび、数段上がった左手にオフィス部分がありました。

実はスティーヴン達はつい最近前のオフィスから引っ越してきたということもあって、リンダさんと一緒にそれぞれの階を案内してもらいました。 

その後、オフィスに案内されるとそこには… 


僕を待ち受けていたのはセシリア=モデルとジェームス=メイク…ではなく、今もアートディレクションをしているグレッグ・フォーリーと当時一緒にアートディレクションをしていたフローレンティーノでした。 

そう僕の暗記は全くの無駄に終わったのです。




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<あなたはVISIONAIREを知っていますか?>





もちろん、(ちなみに僕はインファスの社員ではなくて、あくまでも個人的に現地でお手伝いをしているというスタンスだったので)僕の雑誌好きを知った上で、「次のステップとしてひとつの方向性じゃない?」的な意味合いで言ったのでしょうし、僕もその程度にしか思っていなかったのですが、初めてVISIONAIREを手にした時に思ったのは、「いいなぁ、すごいなぁ…、いつかこんな人たちと働いてみたいなぁ」という素直な気持ちでした。 

ここらへんは自画自賛というか、誇張するわけではないのですが、17でミラノに行く時に「そうだミラノに行こう!」と思って学校を辞めて行ってしまったのと同じく、人が聞くと「なんで?」っていう純粋(単純?)さが僕の原動力だと思っています。

とは言うものの、正直なところ、初めてVISIONAIREを手にしてから冒頭のリンダさんからの電話まであまりVISIONAIREの事を考えた事はもちろん、購入した記憶すらないんですよね。 

だからリンダさんから電話をもらってからは、慌てて日本の雑誌(確かDUNEでスティーヴンがSOHO PARTNERSの冊子をデザインした時のインタビューかな?)を読んで、テスト前の暗記をするようにスティーヴン=編集長、セシリア=モデル、ジェームス=メーク…なんて延々に覚えたりして(笑) 


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スティーヴン初のVISIONAIRE以外のアートディレクション作品。"SOHO PARTNERS"。
当時は「表紙にリサイクルペーパーを使用した」なんて紹介されてたけど、本当は厚紙に新聞記事を転写していたのが正解。
今考えれば普通に解ることなんですけどね(笑)



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ちなみに付録は"SOHO GUIDE"。
表紙のイラストもLVさんのCITY GUIDEよりも遙か昔に、親友Ruben Toledoを採用。


後々になって、フォトグラファーの七種諭さんがNYの街中でセシリアを撮ったりしているシーンがファッション通信でVISIONAIREを特集される時に必ず映し出されていたり、インファスの取材力というか素材力には驚かされるんですが、これをその当時見た記憶がない(汗)

話はちょっとズレてしまいますが、この素材力。 とっても大事な事なんです。

端から見ていると「ただ撮っているだけ」なんて思われがちかも知れませんが、インファスのは違うんです。
きちんと最初から最後まで「通し」で見られる。

特にCNNとかBBCなんていうニュースソースをメインにしている所は、注目のアイテムやモデルだけを雑に撮っていたり、使い終わると重ね撮りしちゃったり(当時)とにかくヒドい。 

でもこれらのニュース番組を実際に見ると結構イケてたりするところが、誤解を恐れずにいうのであれば、実はこれに限らず日本人に欠けているところ(逆に言えば必要以上にこだわっているところ)だったりするのかなぁ…なんて漠然と思っちゃったりもします。

セオリー通りっていうのか枠からハミ出てはいけないって言うんですかね…

でもインファスのはきちんとモデルさんが袖から出てきて、足下からのパンアップ。
注目に値するアイテムを狙いつつも、ポーズを決める時にはキチンと全身もしくはバストアップで全体を映し、さりげなく次のモデルの足下に移動してこれを繰り返す。 

特筆すべきは当時はこれをほぼカメラ一台でこなしてるという事。 
普通オフィシャルの記録だと正面に一台、サイドに1台なんて感じで最低でも2台のカメラがあってそれをうまく編集するなんていうのが当たり前だけれども、それを1台でやっちゃってるわけです。 

こだわりをもったスタッフと、職人たるカメラマンさんがいてこその出来る技です。
だから当時はコレクション終わりで買い物をしているときにお店の中で(オフィシャルの)ショーの映像が映し出されていると「うちの方が遙かにうまいな」なんて生意気にも思った物です。

もちろん、それはそこに携わる事ができたからこその自負なのですが… ファッションの現場には必ず「ファッション通信」がいた。

王道のデザイナーだけではなく、VISONAIREやデビュー前の"Deee-Lite"といったアップカミングなサブカルチャー的存在をもキチンとフォローしていた。

今みたいにNYのファッションが注目されていない時でも、キチンとフォローしていたし、 ブランドやデザイナーの解説や分析。 世界中のどんな若手のショーでも、どんな小さなお店でも… ある意味「記録することが」ライフワークであるように、ファッション通信は必ず「そこに」いました。 

これとっても重要な事ですよね。 王道があってこその、サブカルチャーだしスピンオフした企画な訳です。
そのどちらかが欠けても存在し得ない。 

まぁその点をキチッと棲み分けてるのも日本独特のカルチャーだったりして。 

そろそろ地上波に戻ってこないかなぁ? 
ファッションをカタログとしてではなく、真摯に正面から捉えているファッション番組。 

なによりも作り手の情熱というか、愛情が伝わってくる。
そう言う意味ではVISIONAIREに相通じるものがあるのかもしれません。 

街中には個性的でお洒落な人が溢れているのに、ファッション番組がないなんて、なんてつまらないことでしょう。 

あ、なんかこういう書き方をするともう終わってしまった番組のように感じるかもしれませんが、もちろん「ファッション通信」は今もBSジャパンで毎週土曜日の23時からOAしてますよ! 

勉強不足な、手ぬるい「自称ファッション誌」の「カタログ雑誌」にはない、本当のファッションへの情熱がいっぱい詰まっていますので、是非観て下さい!必ず観て下さい!毎週観て下さい!





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そもそも僕が初めてVISIONAIREに出会ったのは、遡ること92年。

節は忘れてしまいましたが、まだルーブル美術館の中庭で行われていたパリコレのテント会場での事でした。


ぁ、発行年から推測するとパリコレ(プレタ)が年2回の開催なので92年の春、もしくは秋だとは思うのですが…



この建物の奥に中庭があります。



ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ファッション・ショーは決して時間通りには始まりません。


一番最初のショーですらそうなのですから、旬なモデルさんを数多く扱うビッグ・メゾンが最後だったりすると、そのモデルさんや主要なジャーナリストの到着を待ったり、そりゃまぁ待つわけです。


そんな時に会場で目にするのが、お揃いのTシャツを着てWWDやVOGUEといった世界中のファッション誌(紙)を、手売りする売り子さん達でした。


朝から晩までコレクション漬けな人々にとっては、情報収集や暇つぶしのための雑誌を居ながらにして買えてしまう便利な存在だったのですが、その中の一人が右手に持っていたのがVISIONAIREの第5号、"FUTURE"だったのです。


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プレキシグラスを折り曲げた表紙に挟まれた、綴じられることのない装丁。

その斬新な一冊は僕を釘付けにしました。


もともとファビエン・バロンとスティーブン・マイゼルの最強コンビ時代のイタリアン・ヴォーグにどっぷりハマり、ペンやアヴェドン、ホアン・ガッティがアイドルだった雑誌コレクターというかタイポ中毒だった僕は、この頃いつもパリコレが終わると市内のヴィジュアル本屋を廻って買い漁っていました。


今でこそCorso Como 10をはじめ、当時よりさらにお洒落な本を扱うお店が増えた感がありますが、当時のミラノと言えばあまりサブカルチャー的なものを扱うお店がなかったのです。


まぁ日本食も食料品店と合わせて2件、他国料理と言えば中華しかないくらい、良い意味でも悪い意味でも閉鎖的な国でした。だってマクドナルドが中央駅(Stazione Centrale)前にできたのって住み始めてから相当時間が経ってからなんですから...それも緑だし...(笑)


いずれにしてもどっぷりヨーロッパに浸かっていたというか、どこかアメリカを否定していた僕としてはこの瞬間までVISIONAIREに出会う事がなかったのでしょう。

当時の発行部数が1,000部と言うことを考えれば妥当な確率だとは思うのですが…


ただ、ここからが僕と山室さんの記憶が違うところなのですが、彼は僕と一緒に早速「定期購読を申し込んだ」といつも懐かしそうに語るのですが、多分…というか確実に定期購読を申し込んだのは彼だけで(それもリンダさんに頼んで)、僕は絶対に申し込んでないんですよね(笑)


だって今みたいに「ネットでカード決済」でワンクリックで終わらないから、郵便局にいってチェックを作って郵送して…なんて面倒な作業をしているはずがない。


ただ、山室さんがこんな事を言っていたのはハッキリ記憶しています。


「おまえここで働けよ。」…と。




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1993年、NYコレクションが終わって間もない11月のある日。

一本の電話がSoHoのBroome St.(ブルーム・ストリート)にあった自宅にかかってきました。






それは当時インファス(現:INFAS.COM)という、「ファッション通信」や「流行通信」、そして今はなき「スタジオ・ボイス」を制作・発行していた会社のNY支局長だったLINDAさんからのものでした。


もともと17歳で単身ミラノに渡った僕は、ひょんな事からファッション通信のプロデューサーの山室さん(今はWWD JAPANの編集長さんです)に出会いました。


その後もミラノ・パリ・マドリッド・バルセロナといったコレクションでプレタやクチュール、そしてメンズを含む年間300本近くの取材を6年間に渡ってお手伝いさせて頂いていた関係で、ミラノからNYに住居を移したこの年も、ごく自然な形で初めてのNYコレクションのお手伝いをしていたので、その流れでの電話かなと思ったのですが…


※このあたりはリクエストがあればそのうち触れてみたいと思います。


肝心の電話の内容はというと…


「明日VISIONAIREの事務所に行くんだけど、FUMIAKIも一緒に行かない?」


予想もしなかったその質問に対する僕の答えは、もちろん「YES」でした。





<あなたはVISIONAIREを知っていますか?>




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はじめに

そもそも、僕がこのブログを始めた一番の理由は日々の愚行を世に晒すのが目的ではなく、17年以上に渡って自分のライフワークであり続ける<VISIONAIRE・ヴィジョネアー>を、今まで以上に、少しでも多くの方々に認知してもらえればと思ったからです。

もちろんその為の選択肢の一つとして、THESTORE.JP<ザ・ストアドットジェイピー>というオフィシャル・ショッピングサイトを6月にオープンしました。

ただそれと同時に僕という無名の人間がどのようにして同誌に出会い、株式会社ヴィジュアル・コネクションという小さな会社を設立し、その後15年という長い歳月に渡って日本における総代理として活動できるようになったのかをご紹介するのも一案かなと考えたからです。

正直この時代ですから、商品そのものをネット上で探すことは簡単な事です。

でも、だからこそお客様がどこで買われようとも、このブログを読んで頂くことで、これまでVISIONAIREをご存じなかった方にも少しでも興味を持って頂けたり、すでにご存じで実際に所有されている方にも、更なる理解や興味を示して頂ければと思ったのです。

そしてその上で、数ある選択肢の中からTHESTORE.JP<ザ・ストアドットジェイピー>をはじめ、弊社取引先からお求め頂けるにこしたことはありませんが、それはその先のお話と言うことで…

さて、商売っ気はさておき、僕自身もこういう形で過去を振り返る事になるとは思ってもいなかったので、(日記など付けたことがないのに、書き進めるにつれて、思った以上に鮮明なので驚いてはいますが)記憶が曖昧な部分も多々あるのが実際のところです。

出来る限り事実と時系列に忠実にと心がけていますが、何せ17年も前から遡るので、途中で追記したり、訂正する部分も出てくる可能性はあるでしょうが、そこはブログという性質を活かし、臨機応変に対応できればと思っていますので予めご了承下さい。

当時撮影したスナップ写真などを織り交ぜながら、少しずつ綴っていければと思いますので我慢強くお付き合い頂ければと思います。


あなたはVISIONAIREを知っていますか?


僕は、是非とも皆さんにVISIONAIREを知って頂きたい。
そう願っています。



平成21年11月

株式会社ヴィジュアル・コネクション
代表取締役 石光 史明





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